天皇賞 ライスシャワー

マックイーンとブルボン、そしてライス~ライスシャワー(1)

今週行われる天皇賞・春――

私にとって、競馬の本当のおもしろさ、強い馬の定義付けのようなものを、まだ自分にとって競馬の1%ほども理解していなかったころに教えてもらい、そしてそれが今なお少なからず私に、競馬に対する考え方におけるあらゆる点で影響をおよぼし、おそらく今後もまちがいなくそうあり続けるであろうレースがこの天皇賞・春である。

私にとって誰に譲ることもできないヒーローは、天皇賞・春を2回制しているメジロマックイーンである。
「マックイーンのためのレース」と言っても過言ではなかった春の天皇賞であったが、私に「強い馬」の意味を菊花賞で教えてくれたのがこのメジロマックイーンであり、そして、「強き者はかく戦うべき」ということを知ったのが、この天皇賞・春のメジロマックイーンの優勝であった。

「名馬列伝」を書くようになって、天皇賞・春の週には必ずメジロマックイーンのことを書こうと心に決めていた。
そして、ページを開き、いよいよメジロマックイーンの春の天皇賞の武勇伝を書こうという段になった。
しかし、毎年この天皇賞・春が訪れるたびに、メジロマックイーン以外にも、必ず思い出してしまうもう1頭の「最強ステイヤー」の姿が目の前をチラつくのだ。
それは、追い払おうとしても付きまとい、まぶたを閉じてもなお現れる幻覚のように私の前に現れる。
そしてそれは、かつては「悪魔の化身」として私の目の前を去来していたのだが、年を追うごとに、徐々に「悪魔の姿」ではなく、「孤高のステイヤー」の姿として、この上なく尊いものとして映るようになってきた・・・

メジロマックイーンの天皇賞を語るなら、その前に語らなければならない馬がいる。
そうでなければ、メジロマックイーンに対してもこれはたいへんな失礼にあたる。
メジロマックイーンが史上初めて天皇賞を連覇したことは、競馬ファンならみな知るところである。
しかし、この馬抜きにそれを言葉にした瞬間、それ自体まったく意味のないものになってしまうのだ。

――メジロマックイーンが天皇賞・春を連覇しました・・・

それ以上でもそれ以下でもない、単なる事実を語る必要など、今さらまったくない。
メジロマックイーンを語るために、どうしても語らなければならない馬・・・ライスシャワーである。

マックイーンと同じく、天皇賞・春を2度にわたって制した真のステイヤーについて、今年は語ろうと思う。
私にとって最初の天皇賞・春のコラムは、メジロマックイーンではなく、メジロマックイーンを破った孤高のステイヤー・ライスシャワーについて書く。


ライスシャワーというと、メジロマックイーンよりも2つ年下だから、あの2冠馬ミホノブルボンと同期の馬である。
父・リアルシャダイ、母・ライラックポイント、その父・マルゼンスキーという、スピード、スタミナ共に、非常にバランスのとれた良血馬であった。

メジロマックイーンがクラシック戦線に乗ってきたのは菊花賞からであったが、血統背景の手助けもあってか、このライスシャワーは皐月賞からすでにクラシックを賑わす存在であった。
皐月賞を勝ったのはもちろんミホノブルボン。
ライスシャワーは8着、着差1 .4秒・・・まったく相手にしてもらえず、影を踏むどころか、ミホノブルボンの背中もかすむような着差であった。
その後NHK杯を挟んだものの、8着と着順は振るわず、ダービー出走はなんとか叶ったものの、ライスシャワーの単勝人気は18頭中の16番人気というまったくの人気薄であった。
もしかしたら、ライスシャワーという存在をこのときまだ知らなかったファンもいたのではないかとさえ思われるくらいだ。

しかし、今にして思えば、ライスシャワーの真骨頂である「反骨心」はこのときすでに現れていたのかもしれない。
2000mよりも2400mという距離適性の部分もあっただろうが、それ以上に、ライスシャワーの負けじ魂がミホノブルボンの2着という好走を助けたのではないかと私は考えている。
16番人気で2着だったのだから、ライスシャワーの好走はほめられて当然のものであったが、何しろ当時「三冠間違いなし」と評されていたミホノブルボンが相手ではやはりまったく出る幕はなく、コンマ7秒差の大敗であった。
しかしダービーで貴重な賞金を加算したライスシャワーは、夏は休養にあて、小さな身体にしばしの休息を与えるのだった。

そして迎えた年明け緒戦は、菊花賞トライアルのセントライト記念であった。
このときには、後にジャパンカップを制する騙馬・レガシーワールドの2着に敗れる。
しかし、使いつつ良くなってくる兆候がすでにあったライスシャワーは、これでいきなり菊に向かうのではなく、宿敵ミホノブルボンの待つ西のトライアル・京都新聞杯へ向かうのであった。
しかしここでもライスシャワーは、ミホノブルボンの前に4度目の苦杯を舐めさせられてしまう。

休み明けのミホノブルボンは持ったままの逃げ切り、着差こそコンマ2秒差と詰めたものの、ダービー同様まったくの完敗を喫してしまうライスシャワーであった。
そして、いよいよ運命の菊花賞に駒を進める両雄であった。

(つづく)