名馬列伝

記録は「名馬」から「なでしこ」へ・・・~サッカーボーイ(第24回函館記念)

今年はとにかく我々日本人にとってたいへんな年であり、しかも現在それはまだ進行中であるが、そんな苦境を救うべく、打ちひしがれた日本人に勇気を与えんと立ち上がったヒーローやヒロインたちがいた。
「ヒーロー」で言えば、何と言ってもあのドバイワールドカップでついに最高峰に立ってしまったヴィクトワールピサであり、その背中にいたミルコ=デムーロであり、そして、ヴィクトワールピサを必死で鍛え上げてきた角居厩舎のスタッフたちであった。
また、「ヒロイン」で言えば、もちろんまだその喜びの熱気は冷めない、すばらしい快挙を成し遂げた「なでしこジャパン」で誰も文句はないだろう。

なでしこジャパン――もちろん女子サッカーである。
個人的なことを言えば、かつて私は野球を長きにわたってやっていたこともあり、また、現在では非常に「あるスポーツ」にのめり込んでいる関係で、サッカーとは比較的縁遠い人間であったが、しかし、あの「なでしこジャパン」の頑張りを見てしまうと、よく言われる「にわかサッカーファン」の気持ちもよくわかるというものだ。

そして私がディープにのめり込んでいる「あるスポーツ」では、今週、北の大地・北海道で、「函館記念」というレースが行われる。
おそらくサッカーファンには何のことやらさっぱりわからないのだろうけれど。
この函館記念でも、さすがに「なでしこ」と呼ばれることはなかったが、日本中を驚嘆の渦に巻き込んだ「男」が存在した。

記録的な猛暑に記録的な豪雨が日本を襲い、なでしこジャパンは記録にも記憶にも残る感動を与えてくれたが、サッカーにまつわる驚嘆の記録の歴史は、今から23年も前にすでに「あの男」によって刻み込まれていた。
その男とは、芝2000mの日本レコードホルダーであったサッカーボーイである。

実を言うと、サッカーボーイが現役として頑張っていた時代、私はまだ競馬に足を踏み入れてはいない時代であった。
それどころか、まさか競馬がこれほど底なし沼的な魅力あるスポーツだとはまったく認識していなかったころのことである。
その直後、タマモクロスやオグリキャップ、あるいはメジロマックイーンのころから、私が競馬と出会い、競馬とともに人生を歩み始めたのである。

ということで、残念ながらリアルタイムでこのサッカーボーイの勇姿を見ることは叶わなかったが、いろいろと文書や映像で調べながら、サッカーボーイの歴史について振り返ろうと思う。

サッカーボーイは、父・ディクタス、母・ダイナサッシュ、その父・ノーザンテーストという血統のスピード馬であったが、この血統を見ていると、ああ、あの時代の馬だったのだなと、知りもしないくせに、妙に懐かしさがこみ上げるから不思議である。
もちろん、種牡馬としての活躍は知られる通りであり、ヒシミラクルを筆頭に、ナリタトップロードやティコティコタックなど、中長距離レースでときおり無類の強さを見せる産駒を輩出する種牡馬という認識は強い。
競走馬時代はよく知られるように、マイルチャンピオンシップを快勝し、さらには今週のメインである函館記念を日本レコードで圧勝するなど、とにかくスピードで鳴らした馬であった。

自身の競走成績と産駒の成績が必ずしも一致しないことはよくあるが、このサッカーボーイはその典型であり、また、そうしたサイアーこそ自身の偉大さを子孫にも伝えるという特徴があるという部分においても、まさにサッカーボーイはその典型でもある。
これはおそらく、どんな血も父系の血をバランスよく伝える母の父・ノーザンテーストの偉大さでもあり、そしてなんといっても、父・ディクタスの力強く、タフな教祖能力による部分が大きかったのではないかという気がしている。

個人的には、父・サッカーボーイとは似ても似つかない、芦毛のヒシミラクルが一番サッカーボーイの「らしさ」を象徴していたのではないかという気がする。
これはもしかしたら現役時代を生で見ていない私の想い過ごしに過ぎないのかもしれないが、私にとってサッカーボーイというと、どうしてもヒシミラクルを真っ先に思い出してしまうのだ。

ヒシミラクルは、残念ながら種牡馬としての道は志半ばにして閉ざされてしまったが、サッカーボーイはまだまだ健在である。
現在26歳。
この年齢でも種牡馬という大仕事をこなしている時点で、本当に頭が下がる思いである。
もちろん第一線で活躍するというわけには、いくらスーパーホースのサッカーボーイとていかないが、しかし今後も種牡馬として、そして「母の父」として、第二のヒシミラクル、第二のナリタトップロード、そして何より「第二のサッカーボーイ」の輩出の夢を、私は少しだけ見ている。

おそらくサッカーボーイの現役時代を知るファンも、同じ思いなのではないだろうか。
いや、私などではなく、当時の彼の勇姿を知るファンこそ、そういう思いが強いのではないかと思う。

最高傑作!~ブルーコンコルド(第10回プロキオンS)

明日はいよいよ、夏の風物詩的なレースである七夕賞が、今年は中山競馬場で行われるが、西のほうでは、こちらも今年だけ京都で行われるプロキオンステークスが注目レースということになる。
ということで、久しく「名馬列伝」のコーナーをお休み(いやいや、サボっていただけで)していたが、今回は「阪神で」行われたプロキオンSで活躍した名馬をご紹介しようと思う。

ところでこのプロキオンS、火曜日のレースポイントのところでも触れた記憶があるが、とにかく「名馬」と呼ぶにふさわしい、素晴らしい面々が勝ちあがってきたレースである。
GIをいくつも勝つような名馬から、世界的良血と呼ばれながら大きい舞台ではあと一歩届かなかった名馬、そして、ダートの競馬では考えられないような末脚の持ち主など、実に多彩な名馬がこのレースを優勝してきた。

しかし中でも、やはり「実績」という点において、まさに「名馬中の名馬」とも思われるような素晴らしい馬がいた。
個人的にもたいへん思い出のあるダービー馬・フサイチコンコルドを父に持つ、ブルーコンコルドのことである。

母・エビスファミリー、その父・ブライアンズタイムという血統から、一見芝の中長距離で活躍しそうな印象もあるが、そこは万能種牡馬同士の配合(フサイチコンコルド×ブライアンズタイム)ということで、ブルーコンコルドは欧米両雄の偉大な血(ノーザンダンサーとヘイルトゥリズン)の結晶ということができるはずである。
おそらくこの偉大な血が、母方の祖に当たるネヴァーセイダイを経たナスルーラの血を強く伝えたのではないかという気がする。

そのあたりは定かではないが、もちろんブルーコンコルドのことをご存知の競馬ファンは非常に多いはずで、もしかしたら私などよりもずっと詳しくブルーコンコルドを知っているというファンは多いのかもしれない。
というのも、ブルーコンコルドが中央では「芝・ダート」、地方では「ダート」の重賞をそれぞれ制していたこともあり、中央競馬のファンのみならず、地方競馬のファンの方もこのブルーコンコルドといろいろな形で接点があったのではないかと思うからだ。

しかも、ブルーコンコルドが中央の芝で勝ったのは、まだ2歳時の京王杯でのことだったから、ブルーコンコルドにとっては、中央のGIII・プロキオンSがステップレース的に使われたレースであったことを考えると、まさに競走生活のほとんどを地方の深いダートの上で過ごしたことになると言っても過言ではないくらい、ブルーコンコルドと地方競馬とのつながりは密であった。

しかし、そのきっかけをつくったのは、中央のダートのオープン戦であった霜月ステークスであった。
これが初ダートとなったブルーコンコルドは、府中の稍重のダート1400m戦を1分23秒5のレコードタイムで快勝。
この時点でブルーコンコルドの将来は約束されたという印象さえ受けるくらい、強烈なインパクトでの勝利であった。

しかし以外にも、続く阪神のオープン戦・ギャラクシーステークス以降、GIIIのガーネットステークスでの2着こそあったものの、実に7戦もの間、ダート戦線でもやはりオープンの層の厚さに当初は苦しめられて勝ち星から遠ざからなければならなかったのである。
だがこれは、今のダート戦線では当たり前の挫折である。
レベルが高くなればなるほど、頂点に立つまでに時間がかかるのは当然のことである。

そして、ブルーコンコルドが持ち備えていたのは、ダートで走るという資質ばかりではなく、類まれな成長力であった。
確かに、血統背景からはそうした有り余る活力を感じることができ、その活力の大半は、ブルーコンコルドの場合成長力に注がれていたのではないかという気がしてならない。
その成長力がブルーコンコルドを9歳という年齢までトップホースとして君臨させたに他ならなかったのである。

2年目のギャラクシーSを完勝で優勝し、それ以降「成長」という名の波に乗ったブルーコンコルドを誰も止めることはできなかった。
JBCスプリント、マイルCS南部杯(3回!)、JBCマイル、東京大賞典、かしわ記念と、スプリント戦からタフな2000mまで、実に5つのG1タイトルを7回にわたって制したのだから、歴代ダート路線のベストホースというだけでなく、これはまさにフサイチコンコルドの最高傑作と言うべき素晴らしい実績であった。
中央のフェブラリーステークス2着、2000mの帝王賞2着もまた、ブルーコンコルドという馬がダートであれば相手も距離も関係ないということを端的に表していると、私は思う。

現役を退き、当然種牡馬に・・・と思っていたが、まさかの乗馬転向というのはいかにも残念であった。
フサイチコンコルドの血が思いもよらぬ形でサイアーラインの枝葉を伸ばしてくれていたら、もっと競馬は楽しくなっていたと思うのに・・・
しかし、やはり第二の人生で、人気は抜群なものを誇っているというから、現在11歳、まだまだブルーコンコルドの道は先が長い。

こちらも偉大、母はなお健在~ダイナフェアリー(第4回エプソムC)

ホースマンであれば誰もがダービーを目指すもの、そしてそのダービーを今年も終え、安田記念も終わり、いよいよ「夏競馬」という新しい戦いの場を迎える準備も忙しくなる時期であるが、その準備も常にない寂しさがともなうのがこの時期特有の、どこか物悲しい季節である。
そんな中、私たちに逆転の夢と希望の舞台を与えてくれるのが、毎年恒例のエプソムカップだ。
今週、そのエプソムCが行われるということで、もちろん今週は、エプソムCにまつわる名馬をご紹介しようと思う。

エプソムCというと、一線級の馬が出てきづらいレースであり、ここを勝ってGI馬になった馬がいないこともないが、ここを勝って、その後の代表的な勝ち鞍である天皇賞・秋を勝ったのが、あのプレクラスニーであった。
昨年のこのコラムでは、確かプレクラスニーについて書いたという記憶があるが、なんとも後味の悪いGI勝ち馬となってしまったプレクラスニーのことを、このレースがやってくるたびに思い出す。

しかし今年は違う。
競走馬としても京成杯やこのエプソムCを勝って、あまりにもハイレベルな世代にありながら、しっかりとその存在感を示した、ひと昔前の「超良血馬」であったある1頭の牝馬のことを書こうと思う。
その馬の名は、ダイナフェアリー・・・

ダイナフェアリーは、父・ノーザンテースト、母・ファンシーダイナ、その父・シーホークという血統の鹿毛馬であった。
その同期には、史上初めて三冠牝馬あのメジロラモーヌがおり、そして他にも、ジャパンカップ3着を含め、安田記念2着の他、重賞5勝をあげた名牝中の名牝であったダイナアクトレスがいた。
まあ要するに、とんでもない年に生まれてしまったのだ。

最初の重賞制覇となった京成杯では、後の天皇賞馬・ニッポーテイオーを2着に破り、そして後の皐月賞馬・ダイナコスモスを3着に下していた。
その後もエリザベス女王杯のステップレースであり、現在は、時期的にはおそらく「府中牝馬ステークス」として行われている、当時の「牝馬東京タイムズ杯」というGIIIを、やはり古馬相手に快勝、そして女王杯ではメジロラモーヌの前に4着と敗れるも、古馬になってこのエプソムCを見事優勝し、牝馬ながらに中距離では非常に強いところを見せた。

そして、この馬が「名牝」にして「名馬」であることを決定づけたのが、繁殖生活に入ってからのことだ。
繁殖入りして最初の3年はリアルシャダイ産駒を出産し、それほど目立った活躍馬を出すことはなかったが、サンデーサイレンスが輸入されたその後の4年間で3頭の男馬をサンデーサイレンスとの間にもうけ、これが非常に素晴らしい成績をあげていた。
残念ながら3番目のパルシファルは、馬房で暴れて骨折、安楽死処分を余儀なくされてしまったが、まともであればこれは相当な器であった。

サンデーとの間の最初の子は、おそらく多くのファンが記憶しているであろうと思われる、あのサマーサスピションであった。
私は馬券を的中したこともあり、よく覚えているのだが、あの青葉賞は、まさに「ダービー馬はこれ!」といった強烈な勝利であった。
残念ながらその後の骨折でダービー出走は断念し、その後も大成することはなかったが、そのすぐ下の子供が、おそらくダイナフェアリーの最高傑作であったと思われる。

サマーサスピションの下と言えば、もちろんローゼンカバリーである。
ローゼンカバリーは以前こちらの「B級」のほうにご登場いただいているから、詳しくはそちらの項目をご覧いただければと思う。
しかしこのローゼンカバリーは、サンデーサイレンス産駒の中ではやや珍しいステイヤータイプであり、目黒記念や日経賞など、長距離重賞をはじめとして、GII4勝をあげた個性あふれる馬であった。
とにかく重馬場が得意であり、現在はタフな芝コースが魅力なフランスで種牡馬生活を送っているくらいだから、まさにその母であったダイナフェアリーの血が、フランスの競馬界にも一石を投じようとしているのだ。

その後もトニービンやサンデーサイレンスとの間に子供をもうけたが、どういうわけか、パルシファルの不幸がきっかけとなってしまったような形で、出る馬出る馬がことごとく脚部不安に泣かされ、どの馬も大成するに至っていないのが非常に残念であるが、私に「繁殖牝馬の重要性」を初めて意識させてくれたその功績はあまりにも大きい。

高齢のため、2007年に繁殖を引退したが、その間に15頭もの子供を世に送り出し、トータルで重賞5勝をあげるというのは、まさにノーザンテーストとサンデーサイレンスの相性の良さをアピールするに十分な活躍であったというべきだろう。
そして、ついにGI馬こそ輩出することはなかったが、しかしこのダイナフェアリーとてゆるぎない「偉大な母」であると私は思う。
現在は繁殖生活を退いて、北海道の池田牧場というところでのんびりと余生を送っているという。
現在28歳、いやぁ・・・この馬にはまだまだ長生きしてもらいたい。

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