名優~メジロマックイーン(第103回、第105回天皇賞・春)
今週のメインは京都競馬場で行われる天皇賞・春である。
昨年は久々にCMにも登場した「名優」のマックイーンであったが、JRAとしては今年のライスシャワーと昨年のメジロマックイーンの登場順が「逆だったなぁ・・・」と嘆いているかもしれない。
何と言っても今年の天皇賞の主役(CMの、ではなくレースの)はオルフェーヴルであり、その身体には偉大な祖父・メジロマックイーンの血が流れているのだから。
ついでに「メジロマックイーン」のイメージなんてこれっぽちもない皐月賞までゴールドシップという強い孫が優勝してしまったのだから、天国のマックイーンは仲良しだったサンデーサイレンスを呼んでヘベレケになるまで祝杯をあげたことだろう。
このコラムを書き始めた当初から、天皇賞の週にはメジロマックイーンを名馬列伝の主役に書こうと考えていたが、今日ようやく書くことができる。
メジロマックイーンが天皇賞を初めて勝ったのが、現在でいう4歳時であった。
春秋トータルで103回目の天皇賞であった。
あのときには「親子3代天皇賞制覇」という偉業がかかっていた。
これも私が大好きであったミスターアダムスや、ライバルのメジロライアンをまったく寄せ付けずに完勝、これが最初の「偉業達成」の瞬間であった。
翌年の天皇賞も新たな偉業に挑戦するメジロマックーンの姿があった。
無敗の2冠馬・トウカイテイオーとの「対決」のムードは最高潮に達し、このときすでに熱狂的なメジロマックイーンのファンであった私は、ひたすら固唾を呑んでレースを見守った。
マックイーンは私の心配をよそに、まったく何事もなかったようにこれを制し、「勝ち抜け制度(一度優勝した馬がその後天皇賞に出走することができない精度)」の関係でそれ以前にはあり得なかった「天皇賞・春連覇」を史上初めて達成したのである。
その後も骨折を克服して宝塚記念を優勝し、引退レースとなった京都大賞典を優勝したあかつきには、世界の競馬史上初めて、獲得賞金が10億円を超えるという「3つ目の偉業」を達成したのである。
3歳~6歳までの4年間で毎年1つずつGI勝利を重ねてきたこともそうなら、引退レースがとんでもないレコード勝ちであったこともそうであろう。
ネガティヴなファクターでは、「絶対」とされた3回目の天皇賞・春でライスシャワーに敗れたこともそうなら、4歳時の秋の天皇賞での降着事件もそう。
本当にいろいろな部分で競馬ファンを楽しませ、悲しませ、ハラハラさせる波乱に富んだ競走生涯を送ったメジロマックイーンだからこそ、ファンは彼を「芦毛の名優」と呼ぶのである。
もちろん、その由来が「大脱走」のスティーヴ=マックイーンに由来することは知られるところだが、ハリウッドの偉大な俳優も、この名馬の名優ぶりを知ったらさすがに顔色を失くしたのではないかと思う。
現役を引退したメジロマックイーンは、今度は種牡馬として非常に大きな期待をかけられ、第二の人生をスタートした。
私は出走する産駒すべてに注目してきたが、注目するたびに現実の厳しさというものを改めて痛感させられ、何度となく絶望的な気分にさせられたものである。
友人が「マックイーンの子は全然走らねぇなぁ・・・」と言った。
苦し紛れの私は「マックイーン産駒は牝馬が走る!子はクラシックを獲れないかもしれないけれど、孫がやってくれる!(メジロ)シャープの子を見てろ!(メジロ)サンドラの子を見てろ!(エイダイ)クインの子を見てろよ!」と反論した。
ただ、オリエンタルアートやポイントフラッグの子を見てろよ、とは言わなかった。
でも、無論そんなのは単なる強がりである。
断わっておくが、本当にグランプリホースやクラシックホースはもちろん、ましてや三冠馬が出るなんてまったく考えずに(誰だってそうだろう・・・)言った言葉である。
ただ、少なくともこの発言が現在の私の馬券の的中運を大きく削り取っていることは間違いない。
それに、このやりとりがあったのはまだエイダイクインが現役の当時だった気がする・・・
いずれにしても、死してなおメジロマックイーンは名優であり続けている。
これが本当にうれしく、幸せなことである。
その子供がほとんど世に出なかったメジロアサマの孫であるという血統背景もそうなら、世界的規模でほとんど残されていない血の継承者であったこともそうである。
これほど波乱に富んだ生涯を送ったサラブレッドもそういない。
ホクトスルタンの現状を見る限り、父系の血はおそらく途絶えてしまうことになるだろうが、しかし「メジロマックイーンの血」は、今にわかに強い活力を滾らせ始めている。
メジロマックイーン――
あなたの愛する孫は、まあいろいろ言われてはいるけれど、本当のスーパーホースです。
どうか今週の天皇賞は、天国からその背中を押してあげてください。
長い長い道のりの天皇賞だから、もしかしたらまた横道に逸れようとするかもしれないけれど、そんなときには「見えざる手」で、どうか人馬をお守りください。
マックイーンの、ティターンの、アサマの「奇跡の血」が、そして特に牝系はシェリル、さらにはアサマユリにまでさかのぼる「メジロの血」が通う三冠馬が、いよいよ久々に注目が集まる「天皇賞・春」の舞台に立つ。
私は、これまでずっとメジロマックイーンの血を信じ続けたように、天皇賞でもオルフェーヴルを信じようと思う。
神宿る~ディープインパクト(第133回天皇賞・春)
今、歯の治療の順番を待ちながら、車の中でこの文章を書いている。
もちろん、先日購入したスマートフォンを駆使しての書き込みである。
電卓のような小さい身体でこうしてお金を産んでくれるのだから、「神器」とはよく言ったものである。
子供にもらったミルキーを左の歯で噛んでいたら、歯の金属があっさりとはずれてしまい、応急処置として「右側で噛む」という方法を選択したら今度は右の金属も取れてしまったというかなり情けない状況で歯医者を訪れ、そしてスマートフォンで文章を書いている。
私がもっと器械に詳しければスマートフォンが本物の「神」であるかのように思うかもしれないし、私の歯を治療してくれる歯科医の指先だって間違いなく「神業」なのに、残念ながら私は神や仏はおろか、オバケの存在だって一切信じていない。
「無神論者」と言えばかっこうはいいかもしれないが、私は小さいころからいわゆる「怪奇現象」というやつにずいぶんと出くわしており、そういったスピリチュアルな何かを信じてしまえばたちまちその恐怖が「現実のもの」として認められてしまうから、絶対にそういった「不思議なもの」は信じないようにしているのである。
ただ、あの日の天皇賞は、私のそんな強固な認識をわずかに揺るがしたほど、私の中では大きなインパクトとなって記憶されている。
あのディープインパクトが信じられないレコードタイムで優勝を飾ったあの天皇賞である・・・
今年は昨年の三冠馬がいろいろな意味で注目を集めることになる天皇賞だが、かつての三冠馬もやはりこの天皇賞春に挑戦し、そして多くはこのレースを「無敵」の内容で勝ち上がってきた。
今年も「三冠馬」がかなり高い確率で過去の偉大な名馬の足跡を踏襲することになるのではないか。
三冠馬となったディープインパクトに対する正直な印象は、「基本的に長いところはよくない」というものであった。
菊花賞では、過去に三冠馬となったどの名馬たちにもそうした前例がないくらいひっかかっていたからである。
もしそれで有馬記念をまったく問題なしに勝ってしまったら、私のそんな印象はいとも容易く覆されたのだろうが、しかし、ディープインパクトはハーツクライの巧みなレース運びに完敗を喫してしまったのである。
それはもちろんハーツクライが強かったということは疑いないところであるが、しかし内容的にディープインパクト本来の姿からはほど遠かったことも明らかであった。
どうやらあの有馬記念の敗戦は、ハーツクライに負けたと同時に、菊花賞での消耗による部分も大きかったという気がしてならないのだ。
当時、時代の流れを薄々感じ始めていながらもなお長距離適性の高い馬こそ真に「強い馬」であることを疑わなかった私は、菊花賞を経て、あろうことかディープインパクトはそれほど強い馬なのではないのではないかという疑いさえほんの少しだけ抱いていたものである。
まったくもって愚かな競馬ファンであった。
そういう疑いを持ちながらも、私は有馬記念でディープインパクトを本命にした。
菊花賞ではあれだけ行きたがっていて、それで問題なく先頭ゴールを決めてしまったのだから、有馬記念でディープが負けることはどうしても考えられなかったのである。
あの有馬記念ばかりは、私もディープに逆らう気がまったく起こらなかったのである。
当時、洗車のたびに雨にたたられていた私に対し、熱狂的なディープファンである友人たちは強く「ディープインパクト本命の撤回」を詰め寄ったものだが、今にして思えば、彼らの言うとおり本命を変更していればもしかしたら馬券を的中できていたという気も確かにする。
しかし、それで馬券が的中したところでおそらくひとつもうれしくはなかったのではないか――私だってあの敗戦は、日本中の競馬ファンと同じく、大きなショックだったのである。
疲れを癒したディープインパクトは、阪神大賞典で「いつもどおり」の圧勝をおさめ、しかもかなり重い馬場をまったく問題なくこなしてしまったから、天皇賞ではあまり重視しない予定であったディープインパクトに勝たれてしまうかもしれないという予感は確かにあった。
そういう予感は、私の場合極めて高い確率で的中する。
もちろんディープインパクトが天皇賞を優勝し、私が馬券をはずしたという意味ではちゃんとその予感が的中したが、しかし厳密な意味で、ああいう形で優勝してしまうとはまったく想像していなかったことも触れておかなければならない。
つまり私は、ディープインパクトが勝ったとしても、かつて天皇賞で強い光を放ったライスシャワーやメジロマックイーン、マヤノトップガンやサクラローレルという面々に比べればパフォーマンスが大きく落ちるのではないかと予想していたのである。
しかしあの天皇賞のディープインパクトの走りは、「競走」という概念すら完全に忘れさせるほどの完ぺきなものであった。
あの最後の直線の走りは、もはや競走馬というくくりではくくることのできない「芸術作品」である。
「池江」という調教師の「神業」をまたもや目にし、そして私は再び絶句した。
あの直線、間違いなくディープインパクトには「神」が宿っていた。
レースを終え、私は天を仰ごうとした。
しかしそこには陋屋の薄汚れた天井があるだけだった。
神が私のところにやってくるはずがないのだと、私は自分を恥じた。
私はこれまで「強さ」という面でディープインパクトとオルフェーヴルを比較したことがない。
あの異常なほどの強さを見せるオルフェーヴルであっても、とてもディープインパクトのあの天皇賞の走りと比較する気にはならないからである。
でも、今年の天皇賞が終わったとき、初めて私はディープインパクトとオルフェーヴルを比べてみようという気持ちになっているかもしれない。
復活から真の王者へ~ダイワメジャー(第37回ダービー卿CT)
いよいよ春のGIシリーズに突入するその前の週ということで、言いようのない胸の高鳴りを感じる独特の1週間ということになるが、その「独特の週」に行われるのが、西の産経大阪杯と、そして東はおなじみ、荒れるハンデ戦のダービー卿チャレンジトロフィーである。
GIの谷間に行われるハンデGⅢ戦ということで、それほど実績のある組がここを使われることがないという印象も強く、配当はド派手なものがときおり出現するものの、実際このレース自体はそれほど派手なイメージは強くないレースである。
しかし、このレースには、クラシックや天皇賞を優勝し、トータルでGIを5勝も挙げた「名馬中の名馬」の出走があり、そして勝利の記録があった。
本来であればそれほどの名馬なのだから、クラシックや天皇賞の週に名馬列伝として登場させるべきなのかもしれないが、しかし、この名馬はどうしてもこのレースのところで取り上げたいという気持ちが強い。
ハンデGⅢのダービー卿CTを勝ったGI5勝馬――ダイワメジャーである。
ダイワメジャーの場合、その血統(父・サンデーサイレンス、母・スカーレットブーケ、その父・ノーザンテースト)からもわかるように、生まれおちた瞬間から各方面で注目される宿命を背負うという、競走馬として非常に厳しいスタートを切らなければならなかった。
しかし、そうした過度の注目は決してこのダイワメジャーにとってプラスにはならなかったという気がする。
というのもこのダイワメジャー、その見た目や実績から受ける印象とは違った性質を持ちあわせていたのである。
ダイワメジャーは非常に繊細な馬であり、とかく「神経質」で知られる馬であった。
それが一番よく現れたのが、知る人ぞ知る「あのシーン」である。
それはダイワメジャーにとって記念すべきデビュー戦のできごとであった。
デビュー戦の場合、とにかく若い馬のことだから、四冠馬・オルフェーヴルや同期のフェイトフルウォーなどの「パフォーマンス」などからもわかるように、レース前後にさまざまなハプニングが起こるものであるが、このダイワメジャーの場合は何と「パドック」で前代未聞のハプニングを起こしたのである。
すなわちこの超良血馬、デビュー戦という特別な舞台を前に、あまりの緊張のため腹痛を起こし、パドックで座り込んでしまったのである。
かつてはゲイリーセイヴァーという馬がパドックでいきなりゴロンと横になり、砂浴びのポーズをとり始めて驚いたことがあったが、ダイワメジャーの場合は明らかな体調不良によるものであったから、関係者もファンも相当驚いたことだろう。
しかしそんな繊細な「おぼっちゃま」のダイワメジャーに対し、管理する上原調教師は非常に厳しく接したのである。
JRAからは取り消しの進言もあったらしいが、しかし先々の出世を見込んで、調教師はそのままダイワメジャーをレースに使う決断を下したのだ。
その甲斐があってかどうかは知らないが、とにかく無事にレースを使われ、経験を積み、わずか1勝馬ながらも10番人気の低評価を覆し、なんと牡馬クラシック第1弾の皐月賞を優勝してしまったのである。
あれは本当に驚いた。
乗っていたミルコ=デムーロの「2冠ジョッキー」の本当の手腕がその後注目されるようになったのは、おそらくこのときからではなかっただろうか。
しかしその後、ダイワメジャーに悲劇が襲う。
秋緒戦のオールカマー、続く天皇賞・秋をシンガリ負けに大敗したダイワメジャーの身に何かが起こっていることは明らかであった。
その「何か」とは、屈腱炎と並んで競走馬にとっては致命的とされる「喘鳴症(いわゆる「ノド鳴り」)」の発症であった。
上原調教師はオーナーサイドと協議し、ハーツクライをはじめ、多くが引退に追い込まれるこの病気に戦いを挑むことを決意する。
繊細なダイワメジャーに、咽喉の手術という「己との戦い」を強いたのである。
しかしこの決断は英断であった。
ダイワメジャーは病との戦いに勝ち、己との戦いにも勝ち、ターフに戻ってきたのである。
そのレースこそ、今週のダービー卿CTだったのである。
このときの調教師やオーナーの気持ちを思うと、本当にこんなにうれしいことはなかったのではないかと想像できる。
フィジカルな部分だけでなく、メンタルの面でも決して強いとは言えなかったダイワメジャーが、心身ともに大きくなって戻ってきたと、きっとそう思ったに違いない。
もちろんこれは、調教師やオーナーだけでなく、競馬ファンにとっても本当にうれしい勝利であったことも付け加えなければならないことは言うまでもない。
その後のダイワメジャーの活躍は今更説明するまでもないだろう。
いや、もしかしたらレースを走らなくても、大きな戦いに勝ったダイワメジャーの活躍はこのときすでに約束されていたのかもしれない。
ダイワメジャーは皐月賞以来久々のGI勝利を翌年の天皇賞・秋で飾り、その後もマイルチャンピオンシップ(2回)、安田記念を優勝するのである。
そしてラストランは妹・ダイワスカーレットと「初共演」を果たした有馬記念(3着)であった。
現在11歳のダイワメジャーはもちろん種牡馬、もしかしたら来週の桜花賞で、ダイワメジャー産駒初年度の愛娘が早々と「女王」を宣言するのかもしれない。
