ドバイ 競馬

先駆者たちの夢~箕島・尾藤元監督の死を悼んで

春を運ぶ選抜甲子園。今年も何とか行われそうだ。
みなが、それぞれの想いを抱きながらの開催だ。
競馬とはまったく無縁の話しになるが、そして、極めて私的な話で甚だ恐縮なのだが、競馬ファンでもあり、同時に高校野球ファンでもあるという方にお読みいただければ幸いと思い、かつての名監督の死を悼もうと思っている。

その善し悪しは別として、一般的なことを言えば、人間は競走馬と比べればはるかに長く生き、当然その反対に競走馬は人間に比べて早く死んでゆく。
私の敬愛したメジロマックイーンは私が生まれたよりもずっと後に生を受け、そして、20年余りの生涯を全うし、死んだ。
メジロマックイーンには競馬に関する多くのことを教えてもらい、人と馬という立場などどうでもいいと思えるほど、尊敬の念を抱くようになった。

そしてそのメジロマックイーンも師として慕った池江泰郎元調教師も先日勇退された。
当たり前であるが、これも時の流れである。

以前も話したことがあるが、私は競馬とかかわるようになるはるか昔には、甲子園を目指していた高校球児であった。
進んだ学校も、自分の学力から決定したのではなく、その学校で野球がやりたいがために、中学時代に必死になって勉強していたことを思い出す。
馬券検討などでは未だに判断力を欠き、決断力のなさに我ながら呆れかえることがあるのに、まだ中学生であった私を強く引き寄せる何かが「高校野球」というスポーツ(「野球」ではない)にはあった。

プロ野球選手になりたいという夢を抱く少年は、それが高校球児であればなおさら多いが、私は例外的に「プロ野球選手になんてまったくなりたくない高校球児」であった。
これは少年時代から同じであった。
甲子園に行くことこそが夢のすべてであった。
中学時代にはあまりテレビを見ることがないくらい野球が忙しくなったから、おそらくその決意は小学校時代にさかのぼるのだろう。
おそらく、ジョッキーを目指して競馬の世界の門を叩く少年たちと同じような過程で、私は自分の高校時代の夢を決定したのだと思う。

その小学校時代に活躍していたのが、徳島県の池田高校であった。
蔦文也監督(故人)という個性的なキャラクターもあったが、超攻撃的な野球は高校野球の常識を覆すものがあり、その人気は筆舌に尽くしがたいものがあった。
そしてその前に強かったのが「逆転」のPL学園と「奇跡」の箕島高校であった。
池田高校のユニフォームは、憎らしいほど強かった箕島のユニフォームをモチーフにしたデザインであったという。
その「憎らしいほど強かった箕島」の監督こそ、先日お亡くなりになった尾藤公(ただし)監督であった。

小学校時代から、自分が弱小チームを転々としていた経緯もあり、強い学校というのは本当に「憎らしい」と思って観戦していたのだが、この尾藤監督だけはどこか「憎めない」監督であった。
それが、現在の高校野球では当たり前となっている「スマイル」のためであったことはほぼ間違いない。
氏特有の優しさというか、野球ができることへの幸せというか、そういったものがひしひしと伝わってきた。

私が小さかったころは、高校球児をはじめとして、スポーツ選手は試合の舞台で「笑顔を見せてはいけない」という暗黙の了解があった時分であったと思う。
その常識を覆し、試合ではミラクルを連発した「奇跡の箕島」を礎から築き上げたのがこの尾藤監督であり、「尾藤スマイル」であった。

今は笑顔を見せる監督は珍しくない。選手たちだって当たり前である。
楽しいときは誰だって笑顔になる。
野球が好きな人間にとって、野球何物にも代えがたいほど楽しい。
その「当たり前のこと」を堂々と先頭切って始めた尾藤さんは、まさに先駆者であった。
勝つ喜びも負ける悔しさも経験し、これ以上一歩も先に進めないというくらいに自分を追い込み、そして導き出したものこそが「尾藤スマイル」であったのだと思う。

その尾藤さんともついに別れの時がやってきた。
何度となく頂点を極め、そしていつしか甲子園が遠ざかった箕島を最期の最期まで見届けた尾藤さんは、 一体何を夢見たのか――
究極の場であの柔らかいスマイルが自然に表情を覆うその心境は、私には到底想像できなかったが、そこには確かに「夢」の形をした結晶のようなものが見えていたような気がする。

さて、競馬に話を戻そう。
馬にかかわる人々も言うまでもなくみんな夢を持っている。
その「夢」がより具体的な形を成して、もうすぐ目の前に迫ってきている。
ドバイWCである。
強い馬を作ること、いつしか世界の頂点に立つこと、そうした夢を描いて時間が流れてきた。
それは人だけでなく、ハクチカラが、スピードシンボリが、シンボリルドルフが、エルコンドルパサーが、そしてあのホクトベガが描いた夢でもあったはずだ。

先駆者たちが見た夢はどんな模様であったのか、それがわかる瞬間がついに訪れる日が、もうほんのすぐそこまで近づいているのかもしれない。
そんなことを、元箕島高校監督の尾藤さんが、自らの死をもって、私たち競馬ファンにも教えてくれている。