高松宮記念 キングヘイロー

キングヘイロー

日本の競馬は、創設当初からヨーロッパのレース体系に範を置き、
長距離偏重の時代が長く続いてきたわけだが、
現在では世界的規模でレースの短距離化が進みつつある。

日本もレース体系の短距離化が急ピッチで進んでいる。
長距離レースが中距離に短縮され、中距離レースはマイル以下のレースにこちらも短縮され、
新設されるレースもまた長くても1800mくらいということで、長距離レースが、
そしてステイヤーが好きな私としては、年々さみしい思いが募っている。

今週行われるGI・高松宮記念も、そんなレースの1つだ。
かつて中京の芝2000mのGIIで行われていた高松宮杯もまた、時代の波にさらわれるようにして、
GIというグレードと引き換えに、1996年に1200mのスプリントレースとして
「新生・高松宮杯」のリスタートを切る。
その2年後、現在のレース名である「高松宮記念」と改称し、
競馬ファンから広く親しまれるようになった。

そんなレースの距離短縮の歴史になぞらえるかのように、自身も短距離路線へと路線変更して、
それがみごとに当たった1頭の名馬が、この高松宮記念を制した。
ダンシングブレーブを父に、そして、ヘイロー産駒のグッバイヘイローを母に持つ「世界的良血馬」と呼ばれたキングヘイローである。

キングヘイローと言えば、同期にはどうしても勝つことができなかった2冠馬セイウンスカイや、
ダービー、春秋天皇賞とジャパンカップを制したスペシャルウィーク、
そして強力外国産馬陣にはグランプリ3連覇の偉業を達成したグラスワンダー、
そして、ジャパンカップではスペシャルウィークを子供扱いにして、
なんと凱旋門賞でも2着してしまった名馬・エルコンドルパサーまでもがおり、
いくら世界的良血馬であっても、さすがにこのメンバーに入ると
「生まれた年が悪かった」としか言えないような「最強世代」で活躍した馬である。

しかしそんな中にあってなお、クラシックシーズンが到来するまで、
キングヘイローは、血統的な背景も後押ししてか、
「世代のトップホース」という評価を与えられていたのだ。
そして、3歳(現2歳)時に府中で行われた東京スポーツ3歳ステークスの鮮やかな勝ちっぷりを見て、
「ダービーはこの馬で!」と決心した人も多かったのではなかったろうか。

当時外国産馬にはクラシックの門戸が開放されていなかったため、
エルコンドルパサーやグラスワンダーはキングヘイローにとってはあくまでも「別路線組」であった。
当面の敵、セイウンスカイとスペシャルウィークとの最初の直接対決は、
クラシックの登竜門である弥生賞であった。
このとき、キングヘイローはスペシャルウィークをわずかにおさえて堂々の1番人気に推されていた。

レースはセイウンスカイの逃げ、好位から行くキングヘイロー、
後方から脚を温存するスペシャルウィーク・・・そんな展開であったが、
ゴール前懸命に抵抗するセイウンスカイをスペシャルウィークの豪脚がとらえ、
キングヘイローは1番人気に応えることができず3着に敗れる。

そしていよいよ皐月賞。
ここでは3番人気に評価を落としたキングヘイローであったが、
逃げ切ったセイウンスカイと僅差の2着を確保するのだった。
弥生賞の敗戦で評価を落としていたキングヘイローであったが、
この2着で「やはりダービーは・・・」そんなファンの後押しを受け、
ダービーではスペシャルウィークに次ぐ2番人気に支持されるのであった。

しかし、このレースでは驚くべきことに、当時まだ若かった福永騎手はなんとこのキングヘイローに「逃げ」の作戦を命じたのだった。
勝ったスペシャルウィークの稍重の勝ち時計は2分25秒8・・・
初めて経験する逃げとしてはあまりにも厳しく、道中息の入らない厳しいペースで逃げたキングヘイローは14着と惨敗してしまう。

その後も神戸新聞杯を3着、京都新聞杯を2着、
そしてクラシックのラストステージである菊花賞では、
再びダービー馬スペシャルウィーク、
皐月賞馬セイウンスカイに次ぐ3番人気に推されたキングヘイローであったが、
不安視されていた長距離適性のなさを露呈するように、
セイウンスカイの世界レコードの逃げきりの前に5着と敗れるのであった。

さらに続く有馬記念でも6着と敗れるキングヘイローであったが、彼とそのファンや関係者にとって、キングヘイローが惨敗するショックよりももっとショッキングだったのは、ダービー馬として1番人気の支持を受けてスペシャルウィークが出走したジャパンカップであった。
おそらく多くの人がダービー馬スペシャルウィークの勝利を期待していたはずだが、
このレースを制したのが、同じ4歳(現3歳)の、あのエルコンドルパサーである。

いつになく好位で競馬したエルコンドルパサーは、外から追い込むスペシャルウィークをゴール前でさらに引き離し、懸命に食い下がる女傑エアグルーヴをまとめて面倒を見ると言った完全無欠の勝利を収めるのであった。
クラシックでどうしても勝てなかったスペシャルウィークをまるで子供扱いにした外国産馬の同期であるエルコンドルパサーの存在は、キングヘイローならびにその関係者やファンにとってはあまりにも大きな存在であった。

しかも、キングヘイローが出走した有馬記念でも、
同じくどうしても勝てなかったセイウンスカイを寄せ付けずに、
こちらも同期のグラスワンダーが圧倒的な強さを見せ、
「最強世代」のそれぞれの4歳タイトルホースが1年を終えるのであった。
しかし、「世代のトップ」と目されていたキングヘイローだけが、
失意のうちに1年の幕を下ろすのだった。

ところが、そんなキングヘイローに思わぬ転期が訪れたのが、年明け早々の東京新聞杯であった。
マイル戦のここでも1番人気に推されたキングヘイローは、
柴田善臣騎手の手綱に導かれてこのレースを圧勝し、マイル路線に一縷の望みを見るのだった。
そして続く1800mの中山記念も快勝し、いよいよマイル路線への確かな手ごたえをつかむのだった。

ところが、そのあと2番人気に推された安田記念では11着に大敗、続く中距離・宝塚記念でも8着、
夏は休みに充てて秋緒戦の毎日王冠も、得意のはずの1800mで5着、
天皇賞・秋では再びスペシャルウィークの前に7着と完敗してしまうのであった。

そして再びマイル路線に戻した次走マイルチャンピオンシップでは2着を確保し、
GIでは皐月賞以来となる連帯を果たし、
どうやらキングヘイローは短距離馬だったのかといった声がここかしこでささやかれるようになる。

そして、次なる舞台は、もう有馬記念などには見向きもせず、同じ短距離GIでも、
こちらはスプリント戦のスプリンターズステークスであった。
4番人気に推されたキングヘイローは、ここでも3着と好走し、
今度はスプリント路線でも十分勝負になるということがこのときわかるのである。

古馬になってからは実にいろいろな可能性が見え始めたキングヘイロー、
前年の終わりとは雲泥の差ともいうべき、新たな可能性に満ちた年の瀬であった。

そして、さらにもう1つの可能性をつかむべく、年明け緒戦にキングヘイロー陣営がチョイスしたのは、
なんとダートのGIであるフェブラリーステークスの舞台であった。
しかしここではさすがに初ダートを克服することまではかなわず、13着と惨敗に終わる。
しかし、世代のトップグループからこぼれおちるという大きな失意から立ち直ったキングヘイローには、もう「失意」の文字は見当たらなかった。

次なる舞台がいよいよキングヘイローに用意された競走人生最大の舞台である高松宮記念である。
このレースを勝利して、多くの競馬ファンが共通の認識をもつことになる。
「そうか、キングヘイローはスプリンターだったんだ!」

こうして、やっとつかんだ勲章を強く抱きしめながら、
世界的良血馬キングヘイローは現役を引退する。
振り返れば、キングヘイローの競走生活は、失意の連続であった。
しかも、世代最強ともてはやされた若い時分に味わった失意をバネにして、
おそらくキングヘイロー自身もまったく想像しなかったような舞台で栄冠をつかんだその姿には、
「世界的名馬」というよりは、「泥臭く、地道に努力する馬」という、
どこか人間離れした雰囲気を感じ取ることができる。

種牡馬入りしてからはご存知の通り、
父と同じ高松宮記念を制したローレルゲレイロというGIホースを送り出した。
この馬も父同様、若い時分にはマイル路線で人気に応えられないことが多かったが、
スプリント戦という「自分らしい暮らし」を見つけた息子ゲレイロもまた、
間違いなく、若いころよりずっと輝いている。

そして、今週の高松宮記念は、「キングヘイローメモリアル」という、
キングヘイローの「地道な努力」をたたえるサブタイトルが付されて開催されるのだ。